私はどのような患者に遭遇しても、自分の身を守る安全への選択肢を選ばない性分である。患者の苦痛や悩みをどうしたら解消してやれるか、私の行うギヤチェンジはいつもその方向へ私を駆り立ててきた。職員から腰オタクと言われるほど、腰の外科治療にのめり込んできた。
今では、誰も手を出さないような患者の手術にさえ手を染めている。私は腰椎の加齢による退行変性疾患は手術で必ず治せるという確信を持っに至っている。年間300~400件の手術を通して見えたもの、作られた確信があり、腰椎変性疾患を治すコツを体得した。
勿論、危険と隣り合わせ、危機一発の手術も多い。しかし、そのような手術を多数手がけてきたからこそ、見えてきた病気の本質がある。方法論的にはまだ課題は残されているが、登り続けてきた山の頂き付近から下界の景色を眺める心の余裕も感じる。
しかし、気がつくと、髪は白くなり、鏡に映る自分の顔や姿は唯の老人に過ぎない。光陰矢のごとし。脳の中に仕舞われた若い記憶がため息をつく。浦島太郎とはこのような心境を指すのであろうか。しかし、魂は老いず、マグマはさらに活動を強める。挑戦に終わりはないと死さえ忘れ、呆れ果てる自分あり。
私が挑戦と強く意識した患者の手術を紹介しましょう。
患者は69歳、女性。パーキンソン氏病の薬物治療を長期にわたり続けてきた。受診1年前に両側の臀部から下肢にかけて痛みが起こり、歩行不能になった。大学病院を受診したが、圧迫骨折との診断で薬物治療のみ。症状は悪化し続けた。下肢痛は右に強く、痛みのため立位さえ保てない。右大腿部の筋は萎縮していた。
レントゲン撮影では、胸椎12番と腰椎3番に強いコツ粗鬆症による古い圧迫骨折あり。さらに、L3/4にすべり症を認め、すべり部位で骨同士の病的な動きあり。MRIでは、L3/4に高度の脊柱管狭窄を認め、L3/4の右側の椎間孔は破裂骨折した骨や椎間板で埋め尽くされていた。
痛みのない、歩行できる身体に戻りたいとの患者と家族の強い希望のため、手術を引き受けた。
手術は、O-armとナビゲーションを用いて、低侵襲にL2-L4のペディクルスクリュー固定とL3/4の椎体間固定、L3/4の右側の椎間孔内で潰された状態になり、椎間板などと強く癒着したL3神経根を掘り出し、除圧した。さらに、L3/4の両側で高度の脊柱管狭窄を取り除き、馬尾神経や神経根を除圧した。手術時間は4時間25分、出血量は125mlであった。
患者は翌日には、立位がとることができ、部屋の中を歩くことができた。痛みも激減し、患者の顔には微笑みが浮かんだ。
術後は、コルセット装着など慎重な対応とリハビリが必要であるが、圧迫されている神経の除圧を的確に行い、骨を固定すると、症状の改善は劇的なことを私は多数経験してきた。このような誰もが手をつけたがらない患者が増えていることが、私に奮い立つ元気を与えてくれるのだ。
腰痛・坐骨神経痛で悩むより多くの方に読んでいただきたいと
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