脊椎外科医が決断を迫られる場合が二つある。一つ目は、大きな危険を冒してでも手術遂行を決定しなければならない時。二つ目は、大きな危険のために手術を断念せざるを得ない時である。手術の危険とは、患者側の要因と外科医側の要因がある。患者側とは、対象疾患の手術難易度の高さと患者の持病の重篤さがある。外科医側とは、外科医の技術と熟練度がある。このことから言えることは、難易度の高い手術でも熟練した外科医の手によるなら、手術のリスクは相対的に低下するが、難易度の低い手術でも未熟な外科医の手にかかるならリスクは相対的に高くなるのである。従って、外科医は自らの経験と力量を踏まえて、自らが行う手術を決めなければならない。沢山の手術経験を積み、患者の信頼を勝ち得てきた熟練の外科医においても、手術を行うことと断念することは、しばしば熟慮を要する意志決定プロセスになる。かって、50代の男性で、頚部脊柱管狭窄症と腰部脊柱管狭窄症、さらに、胸椎には後縦靭帯骨化症があった。後縦靭帯骨化症とは、骨の表面で脊髄の前にある靱帯が原因不明に骨化し、発育し脊髄を圧迫して、脊髄を障害する病気である。頚部と腰部の脊柱管狭窄症は何ら問題なく手術できる病気のため、これらを手術し症状は改善した。しかし、問題は後縦靭帯骨化症によって脊髄が強く圧迫され、発現していた歩行障害が残った。患者はこの歩行障害が良くならなければ、仕事を続けることができないと悩んだ。手術で靭帯骨化を摘出することは極めて危険であり、術後に脊髄障害が悪化する危険性が高いと判断されたため、これ以上の症状の進行防止に少しでも役立つようにと背骨を削り、脊髄の後方除圧を行った。術後は、症状の悪化も改善もなく、また症状の進行もなく経過していた。後縦靱帯骨化症の手術から約1年が経過してから、歩行障害は悪化していないが、下肢のしびれが少し広がったように感じると外来を受診された。MRIの検査では、後縦靭帯骨化症や脊髄の状態に変化は見られなかった。心配ないことを告げると、再び、靱帯骨化症に対する手術を口にした。歩行障害といっても、痙性による下肢の突っ張り感が中心のもので、傍の目にはそれほどの障害はないように思われる。しかし、患者にとっては健康な時と比べて明らかに不自由な身体になっていることは間違いのないことであった。私は、手術治療は不可能ではないが、手術はあまりに大きな危険を冒すことになることを改めて伝え、かりに、靭帯骨化がうまく摘出されたとしても、現在の歩行障害が改善する見込みは低いこと、何よりも、手術を契機にして脊髄障害が悪化する危険が高いことを告げ、最悪、自分の足で歩けなくなったり、痛みや異常感覚に悩まされたり、現在は見られないが術後に排尿障害や排便機能障害が発現する危険性も高いことを説明した。手術で得る可能性よりも失う危険性が高いことを伝え、現段階では手術を考えないよう説得した。最後には理解してもらえたというより私に押し切られた形で患者は障害を受け入れ、現状で可能な生活を考えていくと診察室を後にした。私は、こういう時はいつも脊椎外科医として、攻めと撤退の狭間で複雑な気持ちに陥るが、断念・撤退も患者のためと自らに言い聞かせている。

↑ 腰痛・坐骨神経痛で悩むより多くの方に読んで
いただきたいと思っております。
1クリックお願いいたします。
- 関連記事
-
trackbackURL:https://spine.drshujisato.com/tb.php/62-ca3f788f